家族は相談、報告したあとに理解をもらわないといけませんが、友人は出資を頼むとか保証人を頼むでもない限り、理解を得る必要はありません。僕の場合は、「友人がどう思うかの反応を見てみたい」気持ちでした。理解を得る必要がないと書きましたが、僕の場合は、あとから思えば「理解を得たかった」のだと思います。結果、理解を得たのですが、それはとても良かったことだと思いました。僕の場合、学生の頃はそれなりに友人も多かったと思いますが、社会人になると多忙となり付き合いのある友人は数えるほどになっていました。なかでも頻繁に(といってもひと月に何往復かのショートメールをして、半年に一度程度、飲む程度です)連絡をとりあう友人が一人いて、その彼に相談しました。
- 結論 ~僕は理解を得る必要があった~
- 「相談する」というか「聞いてほしかった」
- 「間違っていない」という後押しがほしかった
1結論
1.「相談する」というか「聞いてほしかった」
「相談する」についてですが、「明らかな専門外のことを専門家に相談する」といったことと、「転職や独立などの自身の身の振り方について友人や家族に相談する」のでは、その意味合いが違っていると思います。前者は、自身が知らないので「知っているひとにする相談」です。一方で後者は自身も知らないけど、「相手もそれが正解かどうかわからないひとにする相談です」前者は、自身が知らなかった知識を吸収できたり専門的なアドバイスをもらえたりと、相談する目的がはっきりしていますが、後者の相談する目的とは何なのでしょう。皆さんもこれまで、何か自分の進路や身の振り方を決定するにあたって「相談」はしたことがあると思いますが、相談相手が言うとおりに決定したいから相談するわけではないですよね。僕自身もそうでしたが、「聞いてほしかった」のです。
1.2「相談」は一番わかってほしい友人ひとりで十分
僕自身が友人から身の振り方についての相談を受けたとき、また会社員時代に部下から退職の話を切り出されたときもそうでした。よく相手の話を聞きますがそれでもいつも決まって言うのが「この件について一番わかっていて一番多くの時間をかけて考えているのは君なのだから、君の判断が一番正しい」という言葉です。
「まわりが見えなくなっていることもあるので、他人の判断が正しいこともある」という意見も正しいケースはありますが、「犯罪」とか「明らかに危険」でもない限り、その日初めて聞いたひとからの「絶対にやめたほうが良い」とはならないと思います。むしろわからないので回答に困ると思います。そのような相談や切り出しに対し、人間関係が薄いほうが「適当なことは言えない」という気持ちが働いて、なかなかはっきりとした答えはしてくれないと思います。はっきりした答えが返ってこないと無駄に不安になってしまったりでかえって逆効果です。僕自身、まだいろいろ構想が固まりきっていない状況で「まだ決定ではないけど」といった言いぶりでいろんなひとに相談して反応がいまいちで、不安になりました。僕の経験から言うと、特に独立などうまくいくかなど誰にもわからない身の振り方を周囲に言うのは、自分がこうと決めたあとのほうが良いです。
自分が相談される側であったらと考えるとわかるのではないでしょうか。極端に言えば、道で初めてあったひとに人生相談をされても困りますし、刺激しないように無難に受け流しますよね。 転職、独立についても、片っ端から相談するのではなく、一番わかってほしい友人ひとりに、「聞いてもらう」ことで十分だと思います。あとは、「こう決めました」の報告で十分です。
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